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鹿児島地方裁判所 昭和47年(ワ)223号 判決 1978年8月31日

原告 福山哲郎 ほか二名

被告 国 ほか一名

訴訟代理人 泉博 北原久信 田上勉 浦田重男 ほか八名

主文

一  被告らは各自

原告福山に対し金五万円、同益山に対し金一〇万円、同川畑に対し金一〇万円および右各金員に対する原告福山、同益山については昭和四七年八月一五日から、同川畑については同五〇年六月二〇日から、それぞれ支払ずみにいたるまで年五分の割合による各金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は

1  原告福山と被告らとの間で生じたものはこれを五分し、その四を同原告の、その一を被告らの各負担、

2  原告益山と被告らとの間で生じたものはこれを五分し、その四を同原告の、その一を被告らの各負担、

3  原告川畑と被告らとの間で生じたものはこれを六分し、その五を同原告の、その一を被告らの各負担、

とする。

事実

(当事者の求めた裁判)

第一請求の趣旨

一  被告らは、各自原告福山哲郎に対し、金七六万五、〇〇〇円、同益山輝雄に対し金一〇〇万円、同川畑實に対し金六二万二、六四〇円および右各金員に対する原告福山、同益山については、昭和四七年八月一五日から、同川畑については、昭和五〇年六月二〇日から、それぞれ支払ずみまで年五分の割合による各金員を支払え。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

三  仮執行の宣言。

第二請求の趣旨に対する答弁(被告ら)

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

三  担保を条件とする仮執行免脱宣言。

(当事者の主張)

第一請求原因

一  本件水害の発生

原告福山は平佐川左岸(以下左岸、右岸はすべて下流に向つての呼称である)堤内地である川内市宮崎町(別紙図面甲区=以下、隈之城川右岸、百次川右岸、国鉄鹿児島本線の土手と平佐川左岸によつて囲まれている地域内の国鉄鹿児島本線寄りの部分を「甲区」という。)一四四〇番一、に田二七二平方メートル(以下「メートル」は「米」とする。)と同番二に田七五五平方米(実母シヅ名義)を耕作してきたものであり、原告益山は平佐川左岸堤内地である川内市向田町日暮東一三二八番地(別紙図面乙区内に表示している所、以下国鉄鹿児島本線の土手、平佐川の左岸と県道宇都川内線で囲まれた地域を「乙区」という。)に木造瓦葺平家建住宅兼作業場を所有し、機械修理業を営んでいるものであり、原告川畑は平佐川左岸堤内地である川内市五代町二一番二号(別紙図面乙区内に表示している所)に木造瓦葺平家建住宅(物置付)を所有し、居住していたものであり、原告福山は昭和四四年(以下「昭和」を省略する)六月三〇日頃、四六年七月二三日、二四日頃および同年八月四日頃、四七年六月一七日、一八日頃の平佐川の洪水により水田がえぐられ、同益山は四四年六月三〇日頃の同洪水により床上一・〇八米、四六年七月二三日、二四日頃および同年八月四日頃の同洪水により床上一・六米、四七年六月一七日、一八日頃の同洪水により床上〇・六六米に及ぶ浸水の被害を、原告川畑は四七年六月一七日、一八日頃の同洪水によりいずれも床上一・八米に及ぶ浸水の被害(以下全被害を本件被害という。)を受けた。

二  被告らの責任

(一) 平佐川の概況とその管理者

1 平佐川の概況

平佐川は標高一七〇米の樋脇峠に源を発し、川内川支川隈之城川に合流する流路六・八キロメートル(以下キロメートルは「粁」という。)、流域面積一七・五平方粁の河川で四一年四月一日に一級河川に指定された。

2 平佐川の管理者

被告国は河川法九条一項により一級河川である平佐川を管理するものであり、同法九条二項、同法施行令二条により隈之城川との合流点から上流六・八粁の区間を指定区間に指定し鹿児島県知事をしていわゆる機関委任事務として平佐川の管理の一部を行なわせているものであり、また被告鹿児島県は同法六〇条二項により平佐川の管理費用を負担するものである。

(二) 本件水害発生当時の平佐川の状況

1 (平佐川の客観的瑕疵の存在)川内川水系は河川改修事業が遅れ、例年の如く水害が発生し、同水系に属する平佐川も河床が上がり、川内川上流に設置された鶴田ダムの放流等による水位の上昇によつて川内川から平佐川への逆流もあり、各所に水害発生の危険状態が生じていた。そのため、被告らおよび鹿児島県知事は中小河川隈之城川および平佐川改修事業を行ない、隈之城川右岸および百次川右岸については既に三九年度までに計画高水位高(六・三六米)までの築堤を完成し、右改修事業の一環として平佐川の築堤工事も進められてきたのであるが、平佐川と隈之城川との合流点付近にある向田橋の下流端からその上流〇・八粁の平佐川の国鉄鹿児島本線平佐川鉄道橋(以下「平佐川鉄橋」という。)の上流三五米の左岸の区間(別紙図面表示の所以下「未施工部分」という。)については何ら正当な理由もなく、堤防を築かず自然堤のままの状態に置き、外形的にはあたかも堤防を切除したか或は破堤したような状態においていた。そのため右未施工部分からの浸水による災害の生ずるおそれがあつた。

2 (管理の瑕疵の存在)平佐川の右未施工部分からの浸水による甲区や乙区の水害の危険を予防し、その安全性を保持するためにはすみやかに右未施工部分にも築堤および排水樋管を設置する等の措置を講ずべきであるのに、八年間も放置し、前記危険状態にさらしたことは、河川が通常有すべき安全性を具備していたとは到底いえず、その管理に瑕疵があつたことは明白である。

3 しかして、本件水害の発生原因は平佐川上流からの溢水または隈之城川右岸からの溢水によるものではなく、前記のような平佐川の設置、管理に瑕疵があつたため、未施工部分から多量の水が甲区及び乙区に浸水したことによるものであつて、このことは本件水害発生時において平佐川上流左岸の堤防からの溢水がなかつたこと、四四年六月三〇日および四七年六月一七日、一八日には隈之城川右岸の溢水もなかつたことからも明らかである。

(三)被告国、同鹿児島県の責任

以上のとおりであるから、被告国は国家賠償法二条一項により、同鹿児島県は同法三条一項により、それぞれ原告らが本件水害により被つた後記損害を賠償する責任を負わなければならない。

三  損害

(一) 原告福山哲郎(合計七六万五、〇〇〇円)

1 原告福山は、前記水田を耕作して、年間籾一二俵ないし一三俵の米を生産し、年平均四万円の収入をあげていたが、四四年六月三〇日頃、四六年七月二三日、二四日頃および同年八月四日頃の平佐川の洪水の浸水によつて右両年度は全然収穫なく、四七年度は六月一七日、一八日頃の洪水で右水田はえぐられ、全く耕作不能の状態になつた。従つて四四年度、四六年度、四七年度の各損害はそれぞれ金四万円合計一二万円である。

2 右水田は、四四年、四六年および四七年の右各災害の度に、表土、肥料、苗等が流され、原告福山は、その都度、現場から約一粁離れた川内市奥田から表土を搬入したり、肥料をまいたり、苗を植えかえたりなどの余分の作業を行わざるを得なかつた。その合計日数は少くとも三〇日を下らないので、一日の日当として金一、五〇〇円が相当であるから、合計金四万五、〇〇〇円相当の損害を受けた。

3 四七年六月一七日、一八日頃の本件水害によつて、右水田は完全にえぐられ池のような状態になり、これを以前の状態に修復するためには、少くとも金五〇万円の経費を必要とする。(但し、前項で請求済の労働の対価を除く。)

右田の登記簿上の所有名義人は実母の福山シヅであるが、同原告が生計の維持者である関係上、本件水害による損害はすべて原告福山に帰したものである。

4 慰藉料一〇万円

本件水害によつて同原告が被つた精神的苦痛を慰籍するには表記金額が相当である。

(二) 原告益山輝雄(合計金一〇〇万円)

1 原告益山の前記家屋は、四四年六月三〇日頃の洪水で床上一・〇八米、四六年七月二三日、二四日頃および同年八月四日頃の洪水で床上一・六米、四七年六月一七日、一八日頃の洪水で床上〇・六六米の浸水の被害を受け、タンス五樟をはじめ家財道具、畳、機械類(耕運機)等使用不能になり、前記家屋もやや傾いてしまつた。この損害は七〇万円を下らない。

2 原告益山は、右の如く、家屋、家財道具、営業用財産等を破壊され、生活も困難となつただけでなく、突然襲つてきた洪水の水害により原告が被つた精神的苦痛に対する慰籍料として三〇万円が相当である。

(三)原告川畑實(合計六二万二、六四〇円)

原告川畑の前記家屋は、四七年六月一七日、一八日頃の洪水により、床上一・八米の浸水の被害をうけ、別紙損害額一覧表記載の損害を受けた。

四  結論

よつて、被告らは原告福山に対し金七六万五、〇〇〇円、同益山に対し金一〇〇万円、同川畑に対し金六二万二、六四〇円および右各金員に対する原告福山、同益山に対しては本訴状送達の日の翌日以降である四七年八月一五日から、同川畑に対しては本訴状送達の日の翌日である五〇年六月二〇日から各支払ずみにいたるまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。

第二請求原因に対する答弁ならびに主張

一(一)  請求原因一の事実中原告ら主張の頃に洪水があり、甲区、乙区が浸水した事実および原告ら主張の場所に主張の家屋や田の存在した事実は認めるが、その余は否認する。

(二)  同二の(一)の1、2の事実はいずれも認める。同二の(二)の1の事実中「被告らおよび鹿児島県知事らは中小河川隈之城川改修事業を行ない、隈之城川右岸および百次川右岸について三九年度までに計画高水位高までの築堤をした事実(但し暫定堤である)および右改修事業の一環として平佐川の築堤工事も進められてきたが、未施工部分の築堤をしていなかつた事実は認めるが、その余は争う。

同二の(二)の2、3の事実はいずれも否認する。なお四八年三月二八日未施工部分の築堤が完成し、そこには逆流水および川の水嵩が増水したときの浸水の遮断と甲区内の水の排出との二つの機能を有する排水樋管が設けられている、ちなみにその設置に要した費用は総額七二一万六、〇〇〇円である。

同二の(三)の事実は争う。

(三)  同三の(一)の1乃至4の事実はいずれも否認する。

同三の(二)の1、2の事実はいずれも否認する。

同三の(三)の事実はいずれも否認する。

二  中小河川隈之城川および平佐川改修事業(以下「本件改修事業」という。)について

川内川支川隈之城川は川内市隈之城、平佐川両地区(平佐地区において隈之城川は分岐して平佐川となる)を流れる未改修河川であつたため洪水のたびに氾濫し、付近住民の家屋、耕地等は浸水による相当な被害を受けていた。本件改修事業はその災害を防ぐため、流路の整正、拡幅、築堤護岸を施工しようとするもので、その全体計画は二七年一〇月一八日付で建設大臣の認可を受け、その後三四年および四二年の二回変更計画が認可されている。

四二年の変更計画認可後の全体計画は、

(水理諸元)

流域面積 六一・四平方粁

雨量確率 1/50

計画日雨量 二九三ミリメートル(以下「ミリメートル」は「粍」とする)

計画高水流量 五七七立方米(一秒当りの流量)

比流量 九・四立方米(毎秒一平方粁当りの流量)

流出係数 〇・六五

事業費 六億九、五四五万円

施工延長 一万六、六六三米

であり、本件改修事業は二七年度を初年度として毎年継続して施工されてきたものであつて、四八年度をもつて完成する予定であつた。

なお平佐川鉄橋から下流部分については被告国が九州地方建設局長に河川工事を施行する権限を委任し、同建設局長において改修事業を行つてきたものであり、四七年度に完成の予定であつた。

三 本件改修事業の施工順序等について

河川改修の施工順序としては、河川の流水によつて生ずる災害を除去または軽減する効果の大きい箇所であるかどうか、治水上の安全度の低い箇所であるかどうか、または一連の経済的効果を発揮するために必要な箇所であるかどうかを考慮することはもちろん、その他の地域の特性等をも総合勘案して決定するのが原則である。本件改修事業においても右原則に立脚して逐次工事を実施して来たものであるが、本件訴訟に関係の深い隈之城川右岸、平佐川両岸、百次川右岸の改修についてみると、二七年度に着工後三九年度に一応暫定的改修(計画高水位高までの築堤を以下「暫定堤」という。)を完了し(但し未施工部分を除く)、四〇年以降は疎通能力を確保するため河道の掘削および完成堤防にいたらしめるための堤防の嵩上げ工事等を行うこととし、四六年度において隈之城川および百次川の各右岸堤防を護岸をのこして完成し、四七年度においては隈之城川冷水跨線橋上流二八〇米から八五〇米までの区間の護岸および平佐川左岸赤沢津橋から下流の堤防の嵩上げ工事を施工し、ひきつづき同年度中に未施工部分の築堤を行なうことになつていた。そして四八年三月二八日右築堤は完成した。

四 未施工部分が残つた理由

(一)  本件水害発生当時、隈之城川右岸、平佐川左岸および百次川右岸は、いずれも暫定堤だけの改修途上のものであつて未だ完成をみていなかつたのである。したがつて堤防の高さ、幅員、護岸、河道の掘削等も十分ではなく、各河川とも所定の疎通能力を有していないので、ひとたび豪雨に見舞われるときは右各河川から流水が暫定堤を越えて溢水、氾濫する危険性があり、もしかかる事態が発生すれば、隈之城川右岸、平佐川左岸、百次川右岸に囲まれた堤内地である甲区および乙区は広範囲に浸水することとなるからこれに対処するため、地盤の低い右箇所は右各河川の改修完了の時点に合わせて最終的に施工し、締め切るのが妥当であるから、自然に排水できる箇所として未施工部分を残したのであつて、そのようにしなければ万一の場合溢水の排出口がなくなり右甲区、乙区は長期にわたり広範囲に浸水し、被害は莫大なものとなるからである。

隈之城川右岸については四四年六月三〇日、同年七月七日、四六年八月五日、百次川右岸については同日、それぞれ溢水ないし破堤があり甲区に大量の浸水あるいは出水があつたのであるから、右甲区内に浸水あるいは滞水した水の排水口として未施工部分を残したことは十分合理性がある。

(二)  平佐川自体の改修工事にあたつては、まず湾曲し、狭窄した上流部の急勾配区間の改修に着手することが、上流からの勢いの強い流水をおさえるうえでもつとも効果的かつ妥当な施工法(いわゆる「あたま水をおさえる」と称する施工法)であるので、逐次上流から下流へと改修を図つたもので、工程的に未施工部分が残る結果となつたものである。

鹿児島県全体としても河川改修に投じうる経費にはおのずから限度があり、河川改修事業が未だ完成途上にあり、そのため未施工部分が残るのは長期工事の性質上やむをえないことである。

五 河川管理者の管理義務は、一般的には災害をできるだけ少なくしていくという政治的行政的義務にすぎないものであり、直ちに法的責任を生ずるものではない。河川は自然に存在するものであり、しかも自然に存在する状態において洪水が起こりうるという本来的な危険を有するものである。河川のこの危険を完全に除去することは現在の科学水準、経済力をもつてしても不可能であり、河川の管理はその自然にそなわる危険性を予算、工事期間、技術の制約の中で可能な限り少なくしていくという形をとらざるをえない。道路が安全な通行に供されるものとして人工的に設置されるもので本質的に安全なものとして設置管理されなければならないのと比べ、河川は対照的ということができる。また道路管理の瑕疵については財政的理由によつて免責されないという最高裁の判例があるが、本来危険性を有する河川の管理について右判例理論は直ちにあてはまらない。また本件改修工事は前記の如く鹿児島県の財政的制約により工事が長期化することは真にやむをえないことであり、河川改修工事の遅滞が著しく合理性を欠くものでない以上、管理責任を生ずるものではない。

六 原告らは、被告らが責任を負うべき損害の発生を主張するけれども、もともと平佐川は無堤の河岸があり、大雨のときは、しばしば氾濫していたところであつた。また川内川の水が逆流して未施工部分付近から浸水することは、暫定堤築造前でもありえた。したがつて未施工部分があつたから浸水したと見るべきではなく従来はいたるところから浸水していたが、未施工部分からの浸水にとどまるにいたつたとみるべきである。このことは乙区についても変わりはない。乙区は平佐川と背後の丘にはさまれた低いところで水害の常襲地区であり、平佐川改修によつて平佐川鉄橋下流左岸に堤防ができてからは、平佐川からの直接の溢水はなくなつたが、背後の丘からの流下水、または、甲区に滞水した水が鹿児島本線のガード下(別紙図面に表示の所)を通つて流れ込み、水が容易に滞水するような舟底型の地形をなしており乙区においても最も低い箇所に位置している原告益山および同川畑の家屋が、たとえ未施工部分に築堤があつたとしても降雨量によつては、かなりの浸水をみるのは明らかである。更に四四年および四六年の出水の規模は、右甲、乙区を問わず川内地方全般に災害をもたらしたものであつてひとり原告らの損害にとどまらなかつたのである。以上で明らかなように、未施工部分の存在と原告らの損害の発生との間には、相当因果関係はない。

七 原告福山の損害の主張に対して、

仮に同原告主張のような損害が生じたとしても

(一)  四四年および四六年の災害について、原告福山は川内市農業協同組合から農業災害補償法に基づく共済年金として四四年度金二万五、〇〇〇円、四六年度金二万四、二〇〇円をそれぞれ受領しているから、既に損害はその限度で填補されている。

(二)  原告福山主張の田は四七年度はいわゆる休耕田であつて、米生産調整奨励補助金二万五、九〇八円を訴外福山シヅ名義で受領している。そして休耕しなかつたならば要したであろう植付、収穫、脱穀等の諸経費、肥料代、農薬代等を差し引けば損害はありえない。

(三)  四四年六月三〇日の洪水による損害については、原告福山は、その頃損害および加害者を知つたというべきであるから、それから三年を経過した四七年六月三〇日に損害賠償請求権は時効により消滅した。被告らは、本訴において右消滅時効を援用する。

(四)  四七年の洪水による五〇万円の修復費用について、原告福山主張の一四四〇番の田は四八年二月一四四〇番の一田二七二平方米および同番の二田七五五平方米に分筆のうえ、右同番の二の田は同月頃河川敷地として鹿児島県に買収された。したがつて右同番の二については修復する必要がなく損害はない。

八 原告益山の損害の主張に対して

仮に同原告主張のような損害が生じたとしても

(一)  原告益山の住居の所在地(乙区)が水害常襲地区であつたことおよび同原告の主張家屋が右乙区でも地盤の低い場所に存しているため大雨の降るたびに浸水する場所であつたこと、同原告はこれを知悉しながらその地盤に十分嵩上げを施すことなく三八年に現在の場所にその家屋を移築設置したものであるから、水害を受けたとしてもやむをえないものというべきである。また耕運機の損害というのも、水害後の腹痛のため手入れができなかつたためだめにしたというのである。したがつて損害の算定にあたつては大幅に過失相殺さるべきである。

(二)  四四年六月三〇日の洪水による損害については、原告益山はその頃損害および加害者を知つたというべきであるから、それから三年を経過した四七年六月三〇日に損害賠償請求権は時効により消滅した。被告らは、本訴において右消滅時効を援用する。

九 原告川畑の損害の主張に対し

仮に同原告主張のような損害が生じたとしても、原告益山の場合と同様、原告川畑主張の家屋も低い土地にあり、地盤に十分な嵩上げを施すことなく自ら敢て低地に家を持つたのであるからそのことから生ずる不利益は自ら負担するのは当然であり、すくなくとも損害額の算定にあたつては大幅に過失相殺さるべきである。

第三被告らの主張に対する答弁

一  第二の二、三の事実はいずれも不知、同四ないし六の事実はいずれも争う。

二  第二の七の(一)の事実は認める。同(二)の事実中原告福山主張の田は四七年度は休耕田であつて、米生産調整奨励補助金二万五、九〇八円を訴外福山シヅ名義で受領している事実は認めるが、その余の点は争う。同(三)の事実は否認する。同(四)の事実は認める。

三  第二の八、九の事実はいずれも否認する。

第四証拠<省略>

理由

一  原告ら主張の頃に平佐川の洪水があり、甲区、乙区が浸水した事実および原告ら主張の場所に主張のような家屋や田圃が存在した事実はいずれも当事者間に争いがない。

二  (平佐川の概況と平佐川の管理者)

平佐川は標高一七〇米の樋脇峠に源を発し、川内川支川隈之城川に合流する流路六・八粁、流域面積一七・五平方粁の河川で四一年四月一日に一級河川に指定された事実および一級河川の管理は建設大臣がこれを行なうのであるが(河川法九条一項)建設大臣は右平佐川について河川法九条二項の規定に基づき同河川と隈之城川との合流点から上流六・八粁の区間を指定区間に指定し鹿児島県知事をして、いわゆる機関委任事務として平佐川の管理の一部を行なわせているものであり、また被告鹿児島県は同法六〇条二項により平佐川の管理費用を負担するものである事実はいずれも当事者間に争いがない。

三  (本件水害発生時の平佐川の状況)

平佐川は川内川の第一次支川隈之城川の第二次支川として平佐地区を流れる未改修河川の一つであつて洪水のたびに氾濫し、家屋、耕地等は浸水による相当な被害を受けていた。そこで被告らおよび鹿児島県知事は中小河川隈之城川および平佐川改修事業を行ない隈之城川右岸および百次川右岸については既に三九年度までに計画高水位高(六・三六米)までの築堤(但し暫定堤)を完成し、右改修事業の一環として平佐川の築堤工事も進められ、特に平佐川右岸については四四年には既に完成堤が築造されたのであるが、平佐川と隈之城川との合流点付近にある向田橋の下流端からその上流〇・八粁の平佐川の国鉄鹿児島本線平佐川鉄橋の上流三五米の左岸の区間、即ち未施工部分については何ら堤防を築かず、自然堤のままの状態で残されていた事実は当事者間に争いのないところである。

四  <証拠省略>に弁論の全趣旨を総合すれば鹿児島県最大の河川である川内川は隈之城川の分岐点付近では左右両岸とも高い所で九米、低い所で八・三米の堤防が築造され、その河床は高い所で三米、低い所で二米あり、その第一次支川である隈之城川の平佐川との分岐点付近の河床の高さは二米ないし三米で甲区付近では三・五ないし三・八米ある事実、隈之城川の支川である平佐川の未施工部分の自然堤の高さは三・四米で同所付近における河床の高さは二米ないし二・七米、隈之城川右岸、百次川右岸、国鉄鹿児島本線の土手と平佐川左岸によつて囲まれている地域であるいわゆる甲区内の未施工部分付近の最も低い田圃の高さは三・四米で、右未施工部分の自然堤の高さとほぼ同じである事実、国鉄鹿児島本線の土手、平佐川の左岸と県道宇都川内線で囲まれた乙区は多少の高低があるけれども大体低い所で三・六米ないし四米余である事実が認められ、右認定事実よりすると本川である川内川、その支川である隈之城川、平佐川の各河川の河床の高さは大きくみて甲区、乙区付近ではいずれも大差なくほぼ同じ位であるということができ、右三河川の地形的関係よりみて本川である川内川の水位が何らかの事由で上昇すれば当然にその支川である隈之城川や平佐川の甲区、乙区あたりに逆流水が流れ込むことが十分考えられるところである。

五  (未施工部分の存置と客観的瑕疵について)

(一)  (未施工部分からの甲区乙区への浸水)

<証拠省略>に弁論の全趣旨を総合すると、原告福山主張の農地(所有者名義人は実母福山シヅ)のある甲区および原告益山、同川畑の家屋のある乙区は他の地域に比して低地であつたため、従来から大雨が降つた時などは自然に雨水などが溜まり、滞水することがあつたが、四四年六月三〇日頃、四六年七月二三日、二四日頃(日降雨量一二粍)、同年八月四日頃(日降雨量四日一九六粍、五日一八七粍)、四七年六月一七日、一八日頃(日降雨量三一八粍)の四回にわたる甲区乙区の浸水(この時期に右四回の浸水があつた事実はいずれも当事者間に争いがない)により同地区に水害が発生し、右水害が平佐川左岸の高水が未施工部分から甲区に浸入し、それが更に別紙図面ガード下を経て乙区にも浸入したことがその一因となつているものであることが認められ、他に右認定に反する証拠は存しない。

(二)  (隈之城川右岸および百次川右岸からの甲区乙区への浸水)<証拠省略>によると四四年六月三〇日には隈之城川右岸天端流失、同左岸破堤、同年七月七日隈之城川右岸破堤、四六年八月五日台風一九号により川内川は戦後最大の出水となり隈之城川右岸破堤、百次川右岸二箇所、左岸一箇所破堤、四七年六月一七日、一八日頃の豪雨により川内川は戦後第二位の出水となり平佐川右岸裏のり(堤防の裏側、即ち川の反対側)洗掘、隈之城川左岸決壊の各水害があり、甲区ならびに乙区に大量の浸水があつた事実が認められ、他に右認定に反する証拠はない。もつとも川内市長および川内市消防署長の調査嘱託回答書(二通)にはいずれも四四年六月隈之城川右岸の堤防決潰の事実がない旨の記載があるが<証拠省略>の同右岸の天端流失の事実があつたとの記載とは何ら矛盾するものではないので右回答書のような記載があつても前記認定に何ら妨げとはなるものではない。

してみると四四年六月三〇日の甲区乙区の水害は隈之城川右岸の天端流失による隈之城川からの溢水もその原因の一つとなつており、またまた四六年八月五日の水害は右隈之城川右岸破堤と百次川右岸二箇所の破堤による溢水もその原因の一つとなつていることが明らかである。

そうすると四六年七月二三日、二四日頃および四七年六月一七日一八日頃の甲区乙区の水害はいずれも隈之城川右岸、百次川右岸からの溢水とは関係なく、本件未施工部分からの浸水によるものであることは前記認定の諸事実に照らして明らかである。

六  (管理の毅疵の存在)

(一)  原告らは平佐川の右未施工部分からの浸水による甲区や乙区の水害の危険を予防し、その安全性を保持するためにはすみやかに右未施工部分にも築堤および排水樋管を設置する等の措置を講ずべきであると主張するが、およそ河川管理のために河川のどの地点にいかなる管理施設を設置すべきかは河川管理者がその河川の特性、河川工事の経済性等あらゆる観点から総合的に判断して決めるべきことであり、単に特定の地点に河川の氾濫による災害の生ずるおそれがあるとか災害が生じたとかの事実があることから直ちに河川管理者に右地点に堤防を築造する法的義務があるといえないのであつて、河川管理者にそのような義務があるというためには、前述のようなあらゆる観点から総合的に判断して河川管理上その地点に河川管理施設を設置することが流水を安全に下流に流し付近の農地や住宅を水害から守るために必要不可欠であることが明らかであり、これを放置することが我が国における河川管理の一般的水準および社会通念に照らして河川管理者の怠慢であることが明らかであることを必要とするといわなければならない。

ところで被告らは右未施工部分を残したことにつき合理的理由があり、何ら自然公物としての河川堤の管理設置の瑕疵がない旨主張するので以下この点につき検討する。

(二)  (本件中小河川隈之城川および平佐川改修事業の目的および規模について)

<証拠省略>に弁論の全趣旨を総合すると平佐川の改修事業は平佐川鉄橋から上流については中小河川隈之城川改修事業の一環として行なわれていたものであつて、その事業の概要は、川内川支川隈之城川が川内市隈之城、平佐両地区(平佐地区において隈之城川は分岐して平佐川となる。)を流れる未改修河川であつたため、洪水のたびに氾濫し、家屋、耕地等は浸水による相当な被害を受けていた。特に平佐川の川幅が狭少で堤防は低く自己流域の洪水量を流下しえないのみならず、川内川洪水の背水(本川の流水が支川に逆流し影響を与える水のこと)の影響は低地で水害常襲地帯である本件甲区乙区付近一帯を二米ないし三米の冠水湖化することがあつた。そのため本件改修事業は要するに川内川の洪水位背水による水害常襲地区の被害を防除するために流路の整正、拡幅、築堤、護岸の施工を目的として行なわれるもので、その全体計画は二七年一〇月一八日付で建設大臣の認可を受け、その後三四年、四二年と二回にわたり変更計画(但し水理諸元には変更がなく区域、範囲等の変更)が認可された。右四二年の変更計画認可後の全体計画は

(水理諸元)

流域面積 六一・四平方粁

雨量確率 五〇分の一(五〇年に一度はその計算高を越え

るという確率を示す)

計画日雨量 二九三耗

計画高水流量 五七七立方米(一秒当りの流量)

比流量 九・四立方米(毎秒一平方粁当りの流量)

流出係数 〇・六五

(事業費)

六億九、五四五万円

(施工延長)

一万六、五六三米

左岸

右岸

隈之城川

四、二四四米

三、六六八米

平佐川

八〇〇米

八〇〇米

百次川

一、〇〇〇米

一、二五〇米

勝目川

一、二二一米

九〇〇米

都川

七三五米

七三五米

木場谷川

五五五米

五五五米

であり、川内川の高水位六・三六米に余裕高一・五米として築堤高を決め、直轄区域(国の委任による九州地方建設局長の直轄する改修事業区域である隈之城川と平佐川との合流点からその上流〇・八粁の平佐川鉄橋迄の間をいう)との築堤高と合致せしめることとしたものであつて、中小河川改修事業としては鹿児島県下第二の規模の事業であつた。

本件改修事業は二七年度を初年度として爾来毎年継続して施工されて来たものであつて、四八年度をもつて完成する予定であつた。

なお直轄区域については四七年度に完成の予定であつた事実が認められ、他に右認定に反する証拠は存しない。

(三)  (本件改修事業の施工順序等について)

<証拠省略>に弁論の全趣旨を総合すると次の事実を認めることができる。

河川改修の施工順序としては、河川の流水によって生ずる災害を除去または軽減する効果の大きい箇所であるかどうか、治水上の安全度の低い箇所であるかどうか、または一連の効果を発揮するために必要な箇所であるかどうかを考慮するとともにその他、地域の特性等をも総合的に勘案して決定されるものであること。

本件改修事業は右の原則に立脚して逐次工事を実施して来たものであるが、隈之城川右岸平佐川両岸、百次川右岸の改修についてみると、二七年度に着工後、三九年度に一応暫定的改修(計画高水位六・三六米で三〇年に一度の洪水にも耐え得るよう設計された暫定堤)を完了し(但し未施工部分を除く)四〇年以降は疎通能力を確保させるための河道の掘削および完成堤防(暫定堤は計画高水位六・三六米であるのに対し更に余裕高一・五米を加えた高さを完成堤とし、完成堤は五〇年に一度の洪水にも耐えうるよう設計されている)にし上げるための堤防の嵩上げ工事等を行なうこととし、四四年に平佐川右岸を完成(右岸側は川内市の住宅地に隣接するので人命尊重上早期完成をみたもの)、四六年度において隈之城川および百次川の右岸堤防を護岸を残して完成し、四七年度においては隈之城川冷水跨線橋上流二八〇米から八五〇米までの区間の護岸および平佐川左岸赤沢津橋から下流の堤防の嵩上げ工事を施工中であり、ひきつづき同年度中に未施工部分の築堤(樋管設置を含む)を行なうこととなつていた。その後、四八年三月二八日未施工部分の築堤が完成した。以上の事実が認められ、他に右認定に反する証拠はない。

(四)  (未施工部分の存置について)

<証拠省略>に弁論の全趣旨を総合すると、隈之城川右岸、平佐川左岸および百次川右岸は三九年に一応暫定堤が築造されたけれども、堤防の高さはもちろんのこと幅員、護岸、河道の掘削等も十分でないため各河川とも所定の疎通能力を有していないので、改修工事途上においてひとたび豪雨に見舞われることがあれば、右各河川から流水が溢水、氾濫する危険性があり、もしかような事態が発生すれば隈之城川右岸、平佐川左岸、百次川右岸等で囲まれた堤内地である甲区、乙区(原告福山耕作の田や原告益山、同川畑らの家屋はこの地区にある)は広範囲に浸水することとなり、もし溢水が排出できないときは右地区は長期にわたる浸水により大きな被害を被ることになるから、これに対処するため、自然に排水できるところの地盤の低い右甲区に近接する平佐川左岸未施工部分を前記各河川の改修工事完了後、即ち全体計画の最終段階において未施工部分の築堤および樋管の設置をするのが妥当でありかつ必要であると考えられていたこと。

他方平佐川の河川改修をするに当つて、同河川は屈曲が激しく、河積(川の水の流れる断面積)が非常に小さい河川であつたため、暫定的に計画高水位までの堤防を築いて、できるだけ流れをまつすぐにし、流水の疏通能力を高め、洪水頻度を落すということが安全度を高めることになるということで、施工計画がたてられ、まず湾曲し狭窄した上流部の急勾配区間の改修に着手することが上流からの流水(勢をもつて流下するので流速が大きい)をおさえるうえで最も効果的かつ妥当な施工法(「あたま水をおさえる」と称する施工法)であるので、逐次上流から下流に向つて改修工事を進めていたもので、工程的にも未施工部分が残る結果となつたもので、右「あたま水をおさえる」と称する施工法は河川改修上のごく一般的に用いられる方式であること。

最初から完成堤を作らず暫定堤を作つたのは平佐川左岸、隈之城川右岸、百次川右岸で囲まれた一連の区域の改修効果をあげることが目的であつたこと。即ち暫定堤は完成堤に比し、十分な効果をあげえないとしても、暫定堤に見合う効果を発揮することができるわけで、逐次溢水の頻度を落すこととなるので、それなりの効果をあげることができ、期間的にも河川工事は非常に長期間かかり、しかも大規模な堤防を築造するには多量の資材を要するわけで、それらの搬入路としても暫定堤を作つておくと施工効率も非常によく、また踏み固めることも出来るため、より強度な堤防ができるなどの利点がある事実等を認定することができ、他に右認定に反する証拠は存しない。

(五)  以上の諸認定事実を総合すると、川内川水系の隈之城川、百次川、平佐川は未改修河川であつたため、洪水のたびに氾濫し、甲区、乙区内の家屋や耕地等も浸水による相当な被害を受けていたので、当被害地区の被害を防除するために流路の整正、拡幅、築堤、護岸の施工を目的として本件改修事業が行なわれたのであつて、同事業は二七年を初年度として毎年継続して施工され、四八年度をもつて完成する予定の大規模の長期計画事業であつたことが認められる。

したがつてその河川の改修工事には多額の経費と長期の工事期間を要することはいうまでもなく、またこの種河川改修工事に当つては治水効果の大小や、安全度の高低、ならびに地形的にみて治水効果を発揮するに必要な箇所か否かなど、地域の特性を総合的に勘案して流域全体として安全度を高めていくという見地から工事の施工区間の決定がなされるものであることはいうまでもない。

しかして、本件未施工部分を含む一連の堤防で保護される甲区の水害に対する安全度を高めるためには平佐川左岸、隈之城川右岸、百次川右岸の全部の川岸に堤防を築かなければならず、それも或程度の高さと強固性を具備した堤防がなければこの地区は大雨の際に浸水を免れない地形状況にあることもまた肯認しうるところである。

かかる特殊な地形状況にある甲区を水害から守り、その安全を確保しつつ一時に必要な全堤防を築くことは物理的に不可能である。したがつて本件改修工事の施工方法については甲区全域として、それなりの治水効果のあがる方法として被告ら主張のような上流からの勢いの強い流水いわゆる頭水をおさえながら工事を進めるという方法をとるのが本件改修計画の進め方としては妥当なものといわなければならない。そうすると工事進行過程において未施工部分の施工が当然最終の段階になることは一応やむをえないものといわざるをえない。

もっとも先に四で認定したとおりの地形関係から、川内川の逆流も十分予想されるところであるが、その場合は上流から流下する流水より流速が弱いため水位の上昇も緩やかである(このことは<証拠省略>により認めうる)から、治水効果を勘案すればやはり前記のとおり「頭水をおさえる」方式により上流から施工を進めるのが妥当であろう。

また、平佐川左岸、隈之城川右岸および百次川右岸はいずれも三九年頃には暫定堤が築造されたとはいうもののまだ未完成で堤防の高さはもちろんのこと堤防の幅員、護岸、河道の掘削も十分でなく、各河川とも所定の疎通能力を有していないので予想される右各河川の溢水や氾濫による甲区の浸水の危険発生に対処することと、同地区に自然滞水する降雨の排出も合わせ考えて、その自然排水のために地盤の低い未施工部分を排水口たらしめるために、流量、流速等を考慮し、過去の経験をも参考として平佐川の川幅と同程度の三五米位を築堤せずに残しておき(この事実は<証拠省略>により認定)、右各河川の改修工事完了の時に築堤すると共に前記排水口(甲区の地形上築堤後もその必要性は変らない)として樋管をも築造することとして甲区の長期間、広範囲にわたる浸水の被害を軽減しようとしたことは本件改修工事の目的、規模、範囲、長期性、工事の進捗状況、地形状況等に鑑みると被告らが末施工部分を残したことは四六年度の水害(四六隼七月二三日、二四日頃および同年八月四日頃の水害)までに限り一応止むをえない理由があつたとして、その合理性を認めることができる。

(六)  ところで、河川管理の瑕疵を論ずる場合、その瑕疵の最たるものはやはり洪水の危険性の極めて高い破堤或は崩壊状態の放置であることはいうまでもないところであり、かかる意味において本件の未施工部分は外形的にはあたかも破堤したかのような状態を呈してはいるが、これは前段説示の如く、広く甲区の水害時の被害防除ないし軽減という公共の福祉のための河川改修事業の実施進行の過程においてやむをえないものとして一時的に形成されたものであつて、この状態をもつて必ずしも前記のような一般論における破堤状態の放置の場合と同様に論ずることはできない。しかしながら、未施工部分を長期に亘つて存置するということは既にみた如く甲区乙区の水害の危険性の極めて高いものであるから、本件河川の管理者としては河川改修工事の目的やその進捗状況ならびに水害発生の状況等を常に総合検討しつつ適正な対策を講ずべきであるから、右のような危険状態は客観的状況に即応して可及的速やかに除去するよう努めるのが望ましいあるべき姿であるといわなければならない。

したがつて甲区、乙区についてみるならば本件改修事業は平佐川左岸からの浸水或は隈之城川右岸および百次川右岸からの洪水による浸水の防除のみを目的とするのではなく、川内川の洪水位背水(逆流水)で甲区乙区が浸水の被害をうけることをも防除するにあたつたのであるから、遅くとも客観的にみてほぼ工事の目的が達成されたとみとめるべき四七年度の水害頃(四七年六月一七日、一八日頃の水害)には未施工部分に堤防と排水樋管を設置すべきであつたと解するのが相当である。

即ち、

1  前記認定事実によれば平佐川右岸の完成堤は四四年に、同左岸(但し未施工部分を除く)、隈之城川右岸、百次川右岸は三九年に暫定堤の設置が終了しているし、暫定堤は長期、広範囲の河川工事において所定の一連の区域の改修効果をあげることを目的として計画高水位六・三六米の高さで築造されるもので、完成堤はその高さに一・五米の余裕高をみたもので、暫定堤の基礎工事は後日嵩上げによつて完成される完成堤と全く異ならず、ほぼ三〇年に一度の洪水に耐えうる設計になつていて、逐次洪水の頻度を落すことになるので、一応暫定堤に見合う効果を期待しうる程度のものとなつており、しかも右暫定堤で或程度の効果をあげつつ逐次上流から或は必要度の高い所(先にみた如く平佐川右岸は川内市の住宅地が多いので四四年に既に完成堤が築造されている)から完成堤を築造してきており、四六年度には甲区への浸水を最も懸念された隈之城川右岸、百次川右岸は共に完成堤を築き護岸を残すのみになつていたことは明らかである。

また暫定堤は前記説示でも明らかなように基礎工事はそのまま完成堤になりうるものであるから未施工部分にも暫定堤を築き、暫定堤のままで甲区内の滞水の排出と平佐川からの外水の浸水防止のための排出樋管を設置することも土木技術上不可能なものではなく(<証拠省略>により認める。右認定に反する部分は措信しない。)、また<証拠省略>により成立を認めうる<証拠省略>の本件未施工部分の工事費用の積算書の内訳をみるとその工費は七二一万六、〇〇〇円で経済的にも費用が異常に嵩むということもなく、また排水樋管設置は当初計画にも予定されていたものであり、<証拠省略>および四七年一〇月二〇日の当裁判所の検証の結果(検証調書添付写真(二)参照)ならびに<証拠省略>の結果を総合すると国の直轄事業区域内である平佐川左岸下流乙区には既に四三年頃暫定堤の築造と排水樋管の設置がなされていることが認められる。

2  四六年七月二三日、二四日頃の水害は既に認定した如く、甲区乙区の浸水は隈之城川右岸からではなく本件未施工部分からのみのものであることは被告鹿児島県においても調査報告により明らかになつたのであるから(<証拠省略>により認定)未施工部分が、当初期待したような甲区内の滞水或は隈之城右岸や百次川右岸からの溢流水の排水口としての機能よりも平佐川左岸からの流水の浸入口となつている事実も十分認識しえた筈である。

もつとも、その一〇日程後である同年八月五日頃の甲区、乙区の水害は同地区の自然滞水の他未施工部分からの浸水と隈之城川右岸破堤、百次川右岸二箇所破堤による同河川側からの浸水もあつたわけであるが、この時の水害は当地方における戦後最大の水害といわれた異常出水が原因となつたものであつて、この点についても、その後に前記認定のように隈之城川右岸、百次川右岸は共に完成堤を築造し、護岸工事を残すのみの段階になつていて、同河川右岸からの溢流水による浸水の危険性は殆んど解消されたことも知悉していた筈である。

3  以上のような事情から、被告らは遅くとも四七年六月一七日、一八日頃の水害発生時(この時の甲区、乙区の水害は、当地方における戦後二番目の出水によるものではあるが、四六年七月二三日、二四日頃の時と同様隈之城川右岸、百次川右岸からの浸水がなかつた)迄には未施工部分にも築堤ならびに排水樋管を設置する必要性が生じていたのであるから、かかる危険な未施工部分をいつまでも存置し、他の残工事の全てが完了するまで残さなければならない必然性はもはや存しないといわなければならない。

(七)  およそ、河川管理の瑕疵の存否を判断する基準となる時期は、河川改修工事開始前の状態ではなく、水害発生時の状態、即ち河川改修工事が相当に進捗した場合はその状態において管理の瑕疵の存否が問われなければならないものと解するのが相当であるから、これを本件にみるとどんなに遅くとも四七年六月一七日、一八日頃の水害時には河川管理上、未施工部分に暫定堤と排水樋管を設置しておくことは必要不可欠の状態にあつたことは明らかであり、これを設置しないで他の全ての工事が完了する最終段階まで未施工部分を残置しておかなければならないという合理的理由は見出せない。

したがつて、四七年六月一七日、一八日頃の水害当時の平佐川左岸の未施工部分の状況は河川が通常有すべき安全性を備えていたとは到底いえず、その設置、管理に重大な瑕疵があつたことは明白である。

七  (管理の瑕疵と原告らの水害との因果関係)

(一)  (原告福山の関係について)

四七年六月一七日、一八日頃平佐川の水が未施工部分から盗れて原告福山の耕作している田のある甲区に浸水した事実および右日時頃、当地方には日降雨量三一八粍の大雨が降つた事実は既に認定したとおりである。しかして四七年一〇月二〇日および五〇年一〇月八日になした当裁判所の各検証の結果、<証拠省略>の結果に弁論の全趣旨を総合すると、原告福山の耕作しでいた田は未施工部分直近の南側堤内地(別紙図面の表示の所)に位置していて、甲区内でも最も低い所にあり、また未施工部分の高さと大差がなく、従前からも大雨が降れば水が溜り、田が冠水することがあつたけれども、そのことにより田が流失するようなことはなかつたが、未施工部分からの溢流水は大量でしかも一箇所に集中したため、流速、流勢がつき、浸入の際はもちろんのこと、川の水位がさがり、甲区に浸入した水或は自然水の排水に際し、原告福山の田と未施工部分付近があたかも河道のような状態になつたため、右田が洗掘され、表土が流失するという被害をうけた事実が認められ、他に右認定に反する証拠は存しない。

右認定事実と前記争いのない事実によると、当日の降雨量よりして、甲区にも相当の雨水が溜まり或程度原告福山の田も冠水したであろうことは十分推認しうるが、冠水しても未施工部分からの浸水の時のように田が洗掘され、表土が流失するようなことはなかつたのであるから、既に認定したような平佐川の管理の瑕疵即ち当日の未施工部分からの浸水がなければ原告福山は前記認定のような被害をうけることがなかつたであろうことおよび右浸水によつて後記損害をうけたことが認められる。

(二)  (原告益山、同川畑の関係について)

四七年六月一七日、一八日頃平佐川の水が未施工部分から溢れて甲区に浸水し、さらにそれが国鉄鹿児島本線のガード下(別紙図面表示の所)を経て原告益山、同川畑の家屋のある乙区に浸水した事実および右日時頃、当地方に日降雨量三一八粍の大雨が降つた事実はいずれも既に認定したとおりである。

しかして、四七年一〇月二〇日および五〇年一〇月八日になした当裁判所の各検証の結果および<証拠省略>の結果に弁論の全趣旨を総合すると、原告益山、同川畑の家屋のある乙区一帯は昔は水田であつたため、土地が低く、しかも北側は平佐川の堤防、東側が国鉄鹿児島本線の土手、西南側が標高四五・三五米の通称日暮丘(巣山丘)という小高い丘に囲まれた三角形のいわば舟底形の地形になつていて、水はけの悪い所であつて、これまでも、大雨の降つたときなどは程度の差こそあれ、床下浸水程度の水害があつた事実、原告益山や同川畑の家は乙区の中でも周囲に比べて一段低い所にあり、原告川畑の家は県道宇都川内線(標高四・七米)よりさらに低く(本件後地上げすみ)、原告益山の家は標高五・一米の所にある事実が認められ、他に右認定を左右するに足る証拠は存しない。

右認定事実と既に認定した前記事実とを総合すると、原告益山は四七年六月一七日、一八日頃平佐川の未施工部分からの溢流水と当日の降雨水の滞水により土間上〇・六六米の浸水、同川畑は床上一・八米の浸水の各被害をうけた事実が認められる。右浸水被害の原因は既に認定したような平佐川の管理の瑕疵が主な原因ではあるけれども、乙区の地形と当日の降雨量その他、同地区が豪雨時には或程度浸水の被害があつたことなどより判断してやはり自然滞水もその一因をなしているものと認めるのが相当であり、両者の被害発生の寄与度については前記認定の事実その他諸般の事情を総合して自然滞水によるものが二割、管理の瑕疵を原因とするのが八割であると認めるのが相当である。

八  (被告国、同鹿児島県の責任)

以上のとおり四七年六月一七日、一八日頃の水害当時、平佐川の管理の瑕疵があり、かつ右瑕疵と原告らの右水害発生との間に前記七に認定したとおり困果関係が認められる以上、本件平佐川の管理主体である被告国は国家賠償法二条一項により、河川法五九条等の規定により所定の管理費用を負担している被告鹿児島県は国家賠償法三条一項により、それぞれ原告らが右水害により被つた後記損害を連帯して支払うべき義務のあることは明らかである。

ところで、右被告らは、本件河川改修に投じうる経費にはおのずから限度があるので、河川改修事業が長期化するのもやむをえない旨主張するが、現に平佐川の管理について前記のような瑕疵がある以上、財政的理由によつてその責任を免れることはできないというべきである。

九  (損害)

本件未施工部分からの浸水のうち前記六の(七)および七の(一)(二)において述べたところから明らかなように、原告らに後記認定のような損害をもたらすにいたつた違法な加害力となつたと認められるのは四七年六月一七日、一八日頃の水害のみであるから、損害についての判断は、右水害により発生したと原告らが主張している分についてのみ行えば足りることとなる。

(一)  (原告福山の損害について)

1  原告福山がその主張の田を耕作していたことおよび同田は四七年度はいわゆる休耕田であつて、米生産調整奨励補助金として金二万五、九〇八円を、実母福山シヅ名義で受領した事実は当事者間に争いがない。

2  原告福山は四七年の右水害によつて耕作不能となつた損害および遠方からの表土の搬入、施肥、苗の植えかえ等に要した費用として労賃相当額の損害を被つたと主張するが、四七年度は右水害以前に既に休耕田としていたもので、主張のような損害は認められないし、また復旧費についても宮崎町一四四〇番の田は四八年二月に一四四〇番の一田二七二平方米および同番の二田七五五平方米に分筆のうえ、同番の二の田は同月頃河川敷として鹿児島県に買収された事実は当事者間に争いがないので右被買収地について復旧の必要がないことは明白であるから、それについての損害もありえない。

したがつて、同原告の損害としては右一四四〇番の一の田の復旧に要する費用相当額であるというべきところ、四七年一〇月二〇日、当裁判所がなした検証の結果ならびに<証拠省略>の結果に弁論の全趣旨を総合すると、四七年六月一七日、一八日頃の水害により同原告の耕作していた田がえぐられ泥田のようになつた事実が認められ、これを田として耕作するためには表土の搬入その他の復旧作業が必要であることは容易に推認しうるところであり、右復旧のための費用として被害の程度、耕作面積、その他諸般の状況に鑑みると少くとも金五万円を下らないものを要すると認めることができる。したがつて、同原告は復旧費として金五万円相当の損害を被つたと認めるのが相当である。

なお、原告福山については、右財産的損害の他に慰藉料請求を認める事由がないので、同請求はこれを認容することができない。

(二)  (原告益山の損害について)

1  原告益山の家屋が乙区内(別紙図面表示の所)にあつて、同家屋が四七年六月一七日、一八日頃の水害で土間上〇・六六米の高さまで浸水したことは既に認定したところであり、五〇年一月二一日当裁判所がなした検証の結果および<証拠省略>の結果によると、四七年の右水害により原告益山は畳三四枚のうち一〇枚程が浸水の被害を免れたけれども、襖や衣類の入つたたんすその他家財道具が或程度浸水の被害をうけた事実が認められる他に、右認定に反する証拠はない。

なお、<証拠省略>には被害品目とその見積価格を原告自身書き出しているが、これは客観性が担保されていないし、また耕運機については原告益山自身腹痛により手入をしなかつたことにより使用不能になつた旨供述し、これを損害と主張しているが、この損害は右水害による損害とは認め難く、また女物衣類なども仮にその主張どおり水害にあつたとしても原告益山の損害とは認められない。

前記認定の畳、襖、たんすその他の家財道具の浸水被害(財産的損害)についてはその損害額の算定は非常に困難ではあるが、土間上〇・六六米とはいえ二日に亘り浸水があつた以上、これにともなう汚水の浸入によつて財産的損害はもちろんのこと、生活にも支障が生じ精神的苦痛をうけたこともまた否定しえない。

2  ところで、財産的損害と慰藉料との関係については、一般に慰藉料は財産的損害以外の損害をいうのであるが、財産的損害賠償請求権と慰藉料請求権は両者相まつて被害者に失つたものと同等の満足を与えようとするものであることに鑑み、特に本件水害のように財産的損害の算定が困難である場合には両者を載然と区別せず、共に洪水による損害として、全体を一個の損害と評価することも可能であるから、全損害を慰藉料として認定することが本件においては相当であると考える。

しかして、以上の認定事実および前記水害に対する自然滞水の寄与度(二割)その他本件にあらわれた諸般の事情を考慮し、原告益山に対する慰藉料は金一〇万円をもつて相当と認める。

(三)  (原告川畑の損害について)

1  原告川畑の所有家屋が乙区内(別紙図面表示の所)にあつて、同家屋が四七年六月一七日、一八日頃の水害で床上一・八米の高さまで浸水したことは既に認定したところであり、五〇年一〇月八日当裁判所がなした検証の結果および<証拠省略>に弁論の全趣旨を総合すると、原告川畑はその主張家屋を所有しているが、そこに居住しているのは実毎のみで、同女は同原告に扶養されており、その生活費は同原告が負担していたものであつて、原告ら家族は川内市五代町三番地二号に居住していたが、同原告所有の荷物等は両方の家に置いていた事実、四四年、四六年、四七年の三回の水害を通じて原告川畑が主張するものがすべて同原告の所有とは認め難いものも含まれているが、ほぼ、その主張のような被害をうけた事実および右三回の水害のうち四七年六月一七日、一八日頃の水害が相当ひどかつた事実がそれぞれ認められ、右認定に反する証拠は存しない。

以上認定の事実によれば、四七年の右浸水により、原告川畑が自己所有の家屋および物品に水害を受け或程度の損害を被つただけでなく、生活の全てをみてきた一人住まいの老母が水害にさらされたことで、その後の家屋の復旧や実母の生活のこと等で、同原告自身精神的苦痛を受けた事実も否定しえない。

しかし、財産的損害についてみても、どれだけ四七年の右水害のみによつてうけた損害なのか、その損害の中でどれが使用不能となつたのか或はいくらの価額減少になつたのか等について証明がきわめて不十分であり、評価も困難である。

2  よつて、原告川畑の損害額の認定についても前記原告益山の損害について述べたところと同様、本件水害の特殊性に鑑み、損害の算定不能ないし困難な全損害を慰藉料として認定することとする。

しかして、以上の認定事実および前記水害に対する自然滞水の寄与度(二割)その他本件にあらわれた諸般の事情を考慮し、原告川畑に対する慰藉料は金一〇万円をもつて相当と認める。

(四)  なお、被告らの過失相殺の主張についてであるが、原告益山および同川畑の地盤の嵩上げの問題については既に自然滞水を水害発生原因の寄与度として考慮しており、損害の減額理由中に主張の観点も結局包含されているわけであるから、重ねて取り上げる必要はない。よつて被告らの右主張は採用できない。

一〇  (結論)

よつて、原告らの本訴請求は、被告らは各自原告福山に対し金五万円、同益山に対し金一〇万円、同川畑に対し金一〇万円および右各金員に対する原告福山、同益山に対しては本訴状送達の日の翌日以降である四七年八月一五日から、同川畑に対しては本訴状送達の日の翌日以降である五〇年六月二〇日から各支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこの限度でこれを認容し、その余はいずれも失当として棄却すべきである。

よつて、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を各適用して主文のとおり判決する。

なお、仮執行の宣言の申立についてはその必要がないものと認め、これを却下する。

(裁判官 大西浅雄 井垣敏生 成毛憲男)

(損害額一覧表)

(一) 不動産の損害(住居・炊事場・便所・物置小屋の修理復旧費)

1 人件費 延べ四一人  各一、五〇〇円 六一、五〇〇円

2 材料費(木材・トタン)

タルキ  四メートルもの 八本   各三八〇円 三、〇四〇円

サン   二メートルもの 二束 各一、八〇〇円 三、六〇〇円

トタン板 六尺もの   二〇枚   各三二〇円 六、四〇〇円

3 その他の材料および釘・金具 八、〇〇〇円

小計 八二、五四〇円

(二) 家財道具のうち使用不能になつたもの

1 タタミ     二二枚 単価二、〇〇〇円 四四、〇〇〇円

2 雨戸       三枚 単価一、〇〇〇円  三、〇〇〇円

3 応接台      一台 単価二、〇〇〇円  二、〇〇〇円

4 額縁・写真・掛軸 八点 単価一、〇〇〇円  八、〇〇〇円

5 テレビ      一台          三二、〇〇〇円

6 携帯ラジオ    一台           五、〇〇〇円

7 タンス      一台           六、〇〇〇円

8 〃                     四、二〇〇円

9 茶棚       一台           三、〇〇〇円

10 〃                     二、三〇〇円

11 柱時計                   二、〇〇〇円

12 腕時計                   九、〇〇〇円

13 雑誌・書物文書 五〇点   単価二〇〇円 一〇、〇〇〇円

14 家財・小物・炊事道具 一五〇点

単価一〇〇円 一五、〇〇〇円

15 衣類      二〇点   単価三〇〇円  六、〇〇〇円

16 ムシロ・カマス等五〇点   単価二〇〇円 一〇、〇〇〇円

17 カメラ      一台  二〇、〇〇〇円

18 謄写版      一台           二、〇〇〇円

19 下駄箱      一台           一、〇〇〇円

小計   一八一、五〇〇円

(三) 家財道具のうち浸水によつて価値が減少したもの

1 仏壇                 三、〇〇〇円

2 本棚・机    三台 単価八〇〇円  二、四〇〇円

3 住宅・壁・床まわり         一二、〇〇〇円

4 鏡台                 一、〇〇〇円

5 衣類・フトン 八〇点 単価四〇〇円 三二、〇〇〇円

6 洗濯機     一台         二、〇〇〇円

7 電気コタツ   一台         二、〇〇〇円

8 電気アンカ   一台         一、〇〇〇円

小計    五五、四〇〇円

(四) その他の使用不能品

1 モミ    五俵    単価七、〇〇〇円  三五、〇〇〇円

2 味噌    三〇キログラム 単価二〇〇円   六、〇〇〇円

3 醤油    四升      単価三〇〇円   一、二〇〇円

4 その他雑食品                 六、〇〇〇円

5 そ菜二畝に作付 土砂埋没、流失のため収穫皆無 五、〇〇〇円

小計    五三、二〇〇円

(五) 慰藉料  二五〇、二〇〇円

本件水害によつて原告川畑が被つた精神的苦痛に対する慰藉料。

総計   六二二、六四〇円

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